【映画『ランボー』に見る愛の本質の片鱗】
【映画「ランボー」に見る愛の本質の片鱗】
シルベスタ・スタローン演じる『ランボー』。かの名作はベトナム戦争であたかも戦闘兵器となったランボーがアメリカに帰国後、忌まわしき差別を受けて町に対して武装本能を解き放つ、という映画です。
このラストシーンでランボーはこう叫び号泣します。 「俺はベトナムでアメリカを守るために死に物狂いで戦った!戦友も失った!でも俺はアメリカを愛していた!しかし、この国は俺を愛してくれなかった!なんという事だ!!」
僕は自然と泣いていました。自分の病気を、人生を振り返りながら・・・。
僕はこの国では優等生でした、もっと言うならば愛していました。それはこの国の教育を盲信していたからです。そして、うつ病・・・。。
ランボーの叫びは僕の叫びでした。
「これだけあなたを愛しているのに、何故あなたは自分を愛してくれない?」
ここに【愛の本質】の片鱗があります。 いくら相手を盲信し、愛していようとも見返りが帰っくるとは限らないという...。
しかし、ここで僕はランボーは、僕達は【愛】を捨てては、諦観してはならないと思うのです。
マーガレット•サッチャーは愛についてこう述べました。 「愛とは与え続けるもの(love is give and give)。相手が呼応しなくても惜しみなく与え続ければ良いのです。」
現代社会において、サッチャーさんの言葉を理解している人々がいかに少ないことか・・・。
「彼女を好きだったのに応えてくれなったから殺した」
「俺が愛した日本はもうダメだ」
愛の本質を誤解していませんか?? 愛とは、優しさとは相手をより幸せにするためにアクションするもの。過去の貢献に浸って、現状を良しとして、指を咥えとけばいいものではありません。 要は、その相手を現在進行形で信じれるか。そのために考え抜いてアクションを今、取っているか。
そこだと思うのです。
あなたは何かを、誰かを、今、全身全霊で【愛して】いますか?