【マザーテレサの伝言の真髄】
【マザーテレサの伝言】
マザーテレサは生前、この言葉を日本人に伝えました。 「日本人は日本で困っている人を助けなさい。」
マザーテレサはインドで人手に困っていたはずです。それに関わらず何故マザーテレサはこの言葉を発したのか? 一つはマザーの言葉の影響力の大きさを加味したものでしょう。あくまでマザーの愛はインドのみに限定されるものではなかったですから世界中にこの言葉の重みを発したかった。 重要なのは、その次。マザーは分かっていたのです、多分。モノが溢れかえっている日本にも愛の枯渇が、その時点で発生していると共に、(日本に限らず)経済も信用出来ないことを。つまりは経済で成り立っている国でもいつかは盛者必衰の理が存在することを。
事実、マザーの生前に栄えていた国々は少なからず経済的に衰退しました。当然、日本も。 つまり愛の枯渇と共に経済的な枯渇に連なる精神的余裕の枯渇にも繋がったわけです。
この枯渇をマザーは恐らく危惧していたのでしょう。だから「近隣者への愛」を説いたと思うのです。
僕はマザーを尊敬して、出来れば近づきたいと思っている1人です。より具体的に言うと『力をつけた将来、以前の僕の様な病人に経済的なアドバイス』をすることによって間接的な愛の重要性を伝えたい。そう思います。
さてあなたは日本において何をしますか?
【人生=オセロゲーム】
【人生はオセロゲームみたいなものである】
人生は不幸続き・・・。 あれもこれも上手く行かない。。
それはオセロゲームに例えると(自陣が白だったとして)全部黒に侵略させている状態である。
しかし、友人に教わったオセロゲームの肝。要の戦略。それは序盤は黒に攻めさせていると見せて、要所に自軍の白を置くことである。
この方法は人生に置き換えるとメンタルが削られる。中には僕のように病んでしまう人もいるかもしれない。
しかし、途中でゲームを止めず、降伏せず、続けるときっとこういう局面が訪れる筈だと僕は思っている。
『〇⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫⚫』
その端に白を置けば人生は一転する。盤上の黒は感動の要素に変わる。泣き崩れる程の感動に変わる。
だから決してゲームを投げ出さないで欲しい。貴方の盤面が白に覆い尽くされて先天的なハンディを【降伏】させるまで。
本当の意味での復讐とは?
【本当の意味での復讐とは?】
こんにちは! 病み上がりからのメンタルがボロボロからの今日は些か良好です。
存じている方もいらっしゃるかと思いますが、僕は先天的に心身が弱く、それを無理して努力で埋めてきました。 そして就職活動をきっかけにうつ病になってしまいました。 僕の師曰く、僕は世のいう「マトモな」社会とは適合しないそうです。
その僕の人生の最中、僕は多くの、あまりにも多くの屈辱を自他から与えられてきました。
正直、この世に、この世界に復讐したいです。しかし、とある書籍から僕の考えは変わりました。
本当の復讐を成したければ【僕自身がこの世界で幸福になること】。それしかないと思います。
皆々様にも妬みや復讐の思い、忸怩たる思いは多少はあると思います。
それを世の中にネガティブな形で放出するのではなく、幸せになること。 「あいつはこういう風に変わったんだ!」という形が僕は本当のこの世に対する復讐だと思っています。
【記憶のカケラ】
【記憶のカケラ】
どれだけ人生規模の大きな出会いや恋愛をしたところで人の記憶は曖昧で客観的である。 相手のことを好きとか後々、覚えているのならまだいい。「あの時、僕は相手のことが好きだったのかなぁ?」ということが良くある。人とはそんなものだ。
ただ、感触や視覚では残っている。 僕は学生生活、いい思い出を残してきた。男の友情もあったし、恋愛もあった。勿論、全ては覚えていない。「楽しかったなぁ」「ほろ苦かったなぁ」程度だ。それ以上でも以下でもない。
しかし、雨の中のバイクの帰路、誰もいない部屋の中、校舎と似た建物、見る度に現在よりも鮮明にフラッシュバックが始まる。「あの時はこうすれば...」「感触、気持ちよかったなぁ」・・・。
つまり、心の経験や出会いは終わっていても、五感に宿った経験、出会いはし続けるのだ。それほどに感覚の支配する部分は大きいし、また、多くの五感に宿した相手こそ、忘れない人となる。
今、会いたい人は?と問われれば僕は大恋愛の相手より、深く感覚を残した人を選ぶだろう。 つまり、人の魅力、放っておけない人の正体とは自分の心に、記憶に、深く「傷」をつけた人だということだ。
【人間関係と力学】
【人間関係と力学】
人は民主主義平等社会に惑わされながら今日まで至っていると思います。 そして、それは人間皆平等! 【1:1】【50:50】【100:100】の力関係を良しとしようよ!という風潮に間違って現れている気がします。
最近、つとに「友達みたいな男女関係がいいな」という声を耳にしますが僕は「だったら他の誰でもいいの?」とか「じゃあ全部ワリカンね!」と思ってしまいます(笑)。
男女でも友達でも職場でも、言い換えられますが、この世に後天的な平等すら無いと思います。あったら、その人間関係は直ぐ破綻するでしょう。
以前述べたと思いますが何れの関係性にも【強弱】【主従】があり、それが場面ごとによって移り変わるだけなのです。それを総合的に見て僕は「世の中、不平等かな?」と言っている訳です。
しかし、これらの僕の言い分は「貴方も強者とか従える者になろう」と解して欲しくはなく、不平等関係だからこその信頼などの情が生まれ、代替性のない関係がそこに生まれることを認識して欲しいだけです。
つまり表面上、平等と見せかけて内実が不平等な関係性がお互い良い関係。僕はそう思います。
【お金の哲学の一つ】
【お金の哲学】
リリーフランキーはこう述べる。 「貧乏人は無計画だ。だが、それで精神的に豊かになるなら良いお金の使い方だ。」
僕も同意です。
今は「日本が...」「中国バブル崩壊が...」「老後のことを...」という感じで空前の貯蓄ブーム。働きたい職も「安定を...」ですよね。
よく、低給料の人が分不相応な買い物をすると非難の視線等々を浴びたりしますが物質面で多少害があろうといいと思います。精神的な豊かさが物質面での不足を上回る位のものを手に入るなら。
それよりも、コン詰めて、キリキリ詰めて、精神性が乏しい世界に生きてても、そんな人が裕福だとは思わないのです。時間感覚も同様。
夢の車?夢の邸宅?ブランド三昧?そんなものに抑圧されて生きる人は最初からそんなモノたちは分不相応なのです。
何よりもオカネで心を自分で貧しくしては理不尽だし、そういう人は顔に貧しさが出てしまうものです。 人は往々にして「お金が無いなら僕(私)が働く」という言葉を言う人よりも「お金が無くて貧乏でもいいよ」という言葉に心が震えるもので、人はそういう人に付いていきたい、と思うものだと僕は思います。
【どんなに願っても成長は二弾飛びではできない】
【成長は二弾飛びではできない】
いくら、自分から発言して、主張して、アクションしても自己の夢や願望への成長は大学の飛び級とは違い、叶わない。そう思います。
だから今、現在進行形で、分かる人はアクションしています。自他に刺激を与えています。投資でも、ブログでも、話しでも、情報収集でも、マインド強化でも。
これだけは群れを捨ててやってみなければ分からないのです。自分という【ある意味での商品】に付加価値を付けることが如何に難しいかは...。
よくダチョウの例が出されますね。 表面上はクールに、しかし水面下では必死にバタ足。それはダチョウの生きざまであり、生存のための術。
僕はよく人間と、その他は違うと書きますが、この例は例外として人間にも当てはまると思います。
だから、目標、志、信念に基づけば何だっていいんです。やりましょう。バタ足(表面上はクールに)。 アクション、アクション、アクションを!